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図書室の悲惨  (福場将太・著)
■第三章「疑惑の名称」



 昼休憩開始から20分経過した12時50分、校内放送がかかった。
「図書委員に所属する生徒は、今から司書室に集合してください。くり返します、図書委員の生徒は司書室に集合してください」
 2年4組のクラス、とっくに弁当を食べ終わり暇を持て余していた福場はそれを聞き逃さなかった。
(しかし、昨日集会したばかりでまた集合とは…?)
 福場がそう思いながら教室を出た時、廊下で初期ビートルズを想起させるマッシュルームヘアーの男子と出会った。
「おお、出口。お前、今の放送聞いたか?集合だってさ、図書委員」
 彼の名前は出口遊(でぐち・ゆう)、福場と同じ2年4組。昨日の集会には参加していなかった図書委員会のメンバーだ。個性的な生徒の多いフゾクの中でも変わり者で有名で、本人も自らが変なことを言ったりしたりするのを楽しんでいる節がある。怯える仔犬のような瞳とひょろ長い風貌が何となく不適な印象を与える。
「聞いてないけど…。今食堂から戻ってきたとこだから。放送で何て?」
 出口は男子にしてはやや高めの声でそう福場に問う。
「いや、用事はわからないんだけど。まあ、行こうぜ」
 2人はそのまま図書室に向かった。歩きながら福場は昨日の集会の内容を出口に簡単に話す。図書の延滞者が増えていること、匿名の延滞者までいて問題になっていること、みんなで対策を検討したが結局結論は出なかったこと、そして図書室の鍵が行方不明らしいことなどを伝えた。
「ふ~ん、そう…」
 出口はさほど興味がなさそうに曖昧な返答をする…が、少し口元がニヤけている様にも見栄た。



 2人が司書室に入ると、他の委員たちはすでに集合していた。昨日の集会に欠席だった小笠原遥香(おがさわら・はるか)の姿もある。彼女は普段から無口なので性格の把握はイマイチ難しいが、頼まれたことなどは必要以上にきっちりやってくれるので委員の信頼も厚い。少し赤みがかった短めの髪が印象的な1年生だ。
「先生、全員揃ったようです。今日は図書室が閉まってるようですがその関係のお話ですか?」
 最初に言葉を発したのは委員長・瀬山。いつもなら大きなガラス窓を通して司書室から図書室の様子がわかるのだが、今は図書室の照明が落とされカーテンも閉められているためガラスの向こうには薄い闇だけが広がっている。岡本は委員たちの顔をゆっくり見回してから静かな声で言った。
「そう、その図書室のことなの。みんな、落ち着いてこっちに来て」
 落ち着いて、という言葉の意味がよく委員たちには飲み込めなかったようだ。彼らはとにかく顧問に従って順々に図書室に繋がるドアに向かった。
 ドアを抜けるとすぐのところに背の高い男が立っていた。岡本が照明を点ける。
「おお、来たか。じゃあ、見てくれ」
 沖渡がそこをどくと異様な光景が誰の目にも飛び込んだ。委員たちは無言のままゆっくりと問題の机を遠巻きに囲む。
「これ…、一体何…なの?」
 西村が誰にでもなく尋ねた。誰も何も答えない。当然だ、誰も適切に答えようがない。いつもの太陽光ではなく無機質な電灯で配色された室内、そのほぼ中央にある長机にぶちまけられた赤い液体とそこに突き立てられた包丁…。委員たちは無言の視線を注いでいる。
「実は今朝学校に来たら、図書室の鍵が開いていて、こんなことに…なってたの」
 岡本がいつもの優しい口調ではなく、弱弱しい声で言う。沖渡は部屋の隅でその光景を無表情に凝視していた。岡本は続ける。
「安心して、この赤いのは塗料だから。誰か、何か心当たり…ない?包丁の柄の部分を見てほしいんだけど…」
 委員たちは一斉にそこに注目する。そして口々に言葉を発した。
「『大工』…!また『大工』だ…!」
「こりゃ一体…どういうこった?『大工』がこれをやったんスかねえ?」
「そんな…、気持ち悪い!」
「図書の延滞だけならまだしも…、もうここまでくると許せないな」
 最後に委員長が強めの口調でそう言った。気付けば沖渡が委員長の後ろにいる。
「1つ君たちに教えてほしいんだが、その『大工』ってのは何のことなんだい?」
「どうして沖渡先生がここにおられるんですか?」
 委員長が振り向いて尋ねた。
「今朝の発見の時、たまたま私と一緒におられたの。みんなにこれを見せたのも沖渡先生の提案なの」
 岡本が代わりに答える。それに続いて、昨日の集会の時に岡本にしたようにマニアックマンが沖渡に『大工』の説明をする。
「そうなんです。『大工』ってのは貸し出しカードにそう書いて図書を借りちゃってる人のことなんです。何年何組の誰なのかも、いつ書いたのかもわからないんです」
 説明の最後にマニアックマンはそう締めくくった。
「謎の延滞者…か。その名前がこの包丁の柄にまで書かれていることについて、君たちはどう思う?」
 沖渡が全員の顔を見ながら尋ねる。目が合った平岡が口を開いた。
「どうって…。『大工』がまた嫌がらせでこれをやったんだろうとしか」
「こりゃあ、よっぽど図書室が嫌いなんだな」
 福場がそう言うと瀬戸川が続けた。
「図書室じゃなくて、図書委員が嫌いなのかも知れませんよ。貸し出しカードの悪戯に対する僕たちの反応が薄かったからかもしれない。もっと驚かせたかったのかも」
「嫌いとかそんな理由でここまでやるか?こんなの悪戯の域を越えてるぜ、完全に。こんなの…逆に冷めちゃうよ」
 マニアックマンが返す。今度は水田が口を開いた。
「相当な理由がないと、こんなことしないんじゃない?この赤い塗料だって、今はもう固まってるみたいだけど、…これだって結構な量だし、わざわざここまで運んできたわけでしょ?しかも包丁を突き立てるなんてかなり異常よ。ほとんど犯罪じゃない」
 自分の憩いの空間を汚されたからなのか、彼女がここまで感情をあらわにするのは珍しい。腹立たしげな水田の隣で須賀が顔をしかめて言う。
「信じられないよ…こんなの。『大工』って人、神経おかしいんじゃない?」
 そんな中、出口と小笠原は黙ったまま他の委員たちの言葉を聞いていた。そして一通りの言い合いが止むと、沖渡が腕を組んで言う。
「う~ん、『大工』は謎のままか…。一応訊くけど誰も『大工』に心当たり無いよね?」
「そりゃあ、無いですよ。あったら今すぐ取っ捕まえに行ってます」
 と、委員長。沖渡がさらに尋ねた。
「じゃあ、あと1つ、昨日司書室から図書室の鍵がなくなったんだが、何か心当たりは?君たちは他の生徒よりも頻繁に司書室を出入りしているだろう、何か知らないか?」
「鍵、まだ見つかってなかったんですか…岡本先生」
 マニアックマンが岡本を振り返って尋ねる。
「ええ、だから昨日は予備の鍵で施錠して帰ったの。でもまさかこんな…」
「『大工』がこの悪戯をするために盗んでいったんでしょうね。こうなるとそうとしか…」
 マニアックマンがそう言いかけると、5時限目の予鈴が鳴った。その鐘の音に張り詰めた空気が少し和む。
「…わかった、みんなありがとう。最後少し話が飛躍しすぎたが、事情はだいたいわかった」
 沖渡がそう言って場を締めくくった。岡本が付け加える。
「じゃあみんな授業に行きなさい。このことは騒ぎになるといけないから口外しないでね。…ええと、あと昨日も言ったけど今日は大掃除だから、放課後また司書室へ来てね」
 そして場は散会となる。何やら話し合っている者、黙って1人で帰る者…。
 だが多くの者の心中には、同じ名称が反響していた。

 …『大工』。




 2年4組、5時限目はちょうど沖渡の数学だった。沖渡は真剣そのもので黒板に向かい無言でチョークを走らせている。その静寂は生徒たちに談笑を許さない不思議な空気をかもし出す。それは威圧感というよりもむしろ触ったら壊してしまいそうな脆弱感なのかもしれない。午後の陽射しがこぼれる窓、静まり返った教室には沖渡のチョークの音だけが響いている。
 そんな中、福場は授業そっちのけで先ほどのことについて考えていた。彼はミステリー好きで、普段から推理の真似事などをよくやっている。想像力はそれなりのものだがその論理の展開にはかなり無理がある、というのがいつものパターン。だが今回は実際に起こった異常事態だけに、彼の興味は不謹慎だが津々だった。
(一体『大工』はいつあの悪戯をしたのだろう?
 いくら図書室の鍵を手に入れたとしても夜は校舎には入れない。校門は乗り越えればいいとしても校舎の入り口にはどこもシャッターが降りている。あれを破ることはできない。図書室は4階だ、ロープや梯子で登れる高さじゃない。それに、夜は当直の警備員さんだっているからあんまり目立った方法での侵入はできないだろう。
 となればあの悪戯をした時刻は、昨日の夕方シャッターが降りる前か、今日の早朝シャッターが開いた後だ。昨日なら岡本先生が図書室を施錠してからシャッターが降りるまでの間…、つまり警備員さんが廊下を見回ってシャッターを降ろす時刻までの間だ。何時だったかは後で岡本先生と警備員さんに訊けばわかる。
 今朝だとしたら、確か朝練をする部活連中のために午前6時に警備員さんはシャッターを開けるはずだから、それから岡本先生と沖渡先生が図書室に来るまでの間だ。部活連中は荷物を置いて着替えたらグランドに行くはずだから、校舎内にはほとんど人はいないはず…居たとしてもまだ開いてもいない4階の図書室にわざわざ来る生徒などいない。
 先生たちだって早朝図書室へは行かないだろう。岡本先生の話から司書室にデスクを持つもう1人の教師・原田先生もまだ来てなかったことになる。
 …となれば、今朝の方があの悪戯をするには安全か。昨日の夕方だとするとどうも余裕が無い気がする)
 福場はそう思いながらふと黒板の方を見ると、板書を終えた沖渡が無表情で解説をしている。声はよく通るので熱血っぽいのだが、どうも動きがエネルギーの切れかかったロボットのようで…波風のなさすぎる授業に感じられる。悪くはないのだが。
(そういえば沖渡先生はいつ頃今朝学校に来たんだろう?
 そうだ、それにその時彼のデスクのある数学準備室に、もう他の先生が来ていたかどうかも考慮しなければ…。数学準備室は図書室の隣の隣だ。もし誰かすでにいたとすれば、何か見ているかもしれない。さっそく授業が終わったら沖渡先生に訊いてみよう。ついでにその10分休憩で岡本先生にも話を聞いて、次の6時限目でまた推理だ!)
 そう決心すると、福場は少し眠る体勢に入った。



「私が学校に来たのは7時45分くらいだったよ」
 授業の後、沖渡は階段で福場に呼び止められた。生徒に対しても一人称『私』を使いながら彼は福場の質問に答える。その顔はやはり直線的で表情に乏しい。
「まず職員室で数学準備室の鍵をもらって、といっても職員室にはまだ誰もいなかったけど、その後に印刷室へ行った。そこで数学のプリントを印刷して…ほら、さっき配ったヤツ。そこで岡本先生に会ったんだ。その後2人で4階に行って…例の事態を発見した」
 福場は思いついたように尋ねる。
「発見した時の時刻、憶えてます?」
「うん、憶えてるよ、時計を見たんだ。確か8時10分…だな」
「そう…ですか」
 福場はそう答えながら考えた。
(つまり今朝の犯行可能時刻は、シャッターの開いた6時から発見の8時10分までの約2時間…か)
「わかりました。ありがとうございます、先生!」
 沖渡に礼を言って福場はその場を離れようとした。
(この10分休憩で岡本先生とそう、警備員さんにも話を聞こう。警備員さんが朝に1度帰ってまた何時に学校に来るのかは知らないけど、そろそろ来てるかもしれない。岡本先生は多分司書室、警備員さんは宿直室だ!)
 そう思いながら走り出そうとした瞬間、福場は後ろから肩をつかまれる。
「待て、福場。今の質問はどう言う意味だ?」
 振り返った福場の目を沖渡が凝視した。福場は少し恐怖を感じる。
「いえ…、ただ図書室のこと、このままじゃ気味悪いんで解明しようと…」
 口外するなと言われているので、周囲に聞こえぬよう福場は小声で言った。
「あの…いけませんか?」
 沖渡は一応直線的ながらも笑顔を作って言った。
「いや、そんなことはわかってる。私が訊きたいのは私の出勤時間を尋ねた意味だよ」
 沖渡も小声で言った。
「ああ…、それは『大工』があの悪戯をいつやったのかを特定したくて。今朝か、昨日か」
「それなら十中八九今朝だよ」
 沖渡の意外かつ敏速な返答に福場は驚いた。
(この人も色々と考えていたのだろうか?授業をしながら…?スゲー)
「ど、どうしてですか、先生?」
「簡単なことさ、私にとってはね。つまり…」
 沖渡は言いかけて廊下の時計を見た。
「そろそろ次の授業の準備をしに数学準備室へ戻らなくちゃ。この話はまた後で」
「そ、そんな…」
 煮え切らないでいる福場を残し、沖渡はさっさと階段を上がっていく。相変わらず足音はない。福場がその後を追おうとすると、彼はくるりと振り返って言った。
「福場は放課後図書室の大掃除だろ?その前に数学準備室に来なさい。その時、話すよ」
 そう言うと沖渡は去っていった。



 結局10分休憩の間に福場は岡本と警備員の所へは行けなかった。もし沖渡が言っていたことが本当なら行く必要はなくなったわけだが…。福場の頭に沖渡の言葉が反響する。

 …『簡単なことさ、私にとってはね』

(『私にとっては』とはどういう意味なのだろうか?
 彼は実は名探偵の孫かなんかでIQ180の天才青年…中年?だったのだろうか)
 そんなことを思いながら福場は自分の机に突っ伏した。6時限目もこの教室での授業、睡眠時間になりそうだ。




「えらく来るのが早かったね。まさかホームルームをさぼったんじゃないかい?」
 沖渡に図星されながらも福場は尋ねた。
「いや、そんな…、そんな…ことより、先生、先ほどの続きを!」
 窓の外には天高い秋の空が広がる数学準備室、沖渡のデスクに福場が詰め寄っている。
「まあ、いいか。ええと、図書室の悪戯が決行された時刻だったね。夜はシャッターのせいで校舎には入れない。だから当然昨日の夕方シャッター閉鎖までの間か、今朝シャッター開放から現場発見までの間かのどちらかってことになるね。多分ここまでは福場も考えたんだろう?」
 まるで授業のように沖渡は語る。
「…でも、私はそれより更に条件を絞ることができたんだ。なんたって現場の第一発見者の1人だからね。君よりも情報が多かった」
(そうか、『私にとっては』とはそういう意味か)
 福場はあっけない答えに納得して尋ねた。
「まさか犯人の逃げ去る後ろ姿を見たんですか?」
「まさか…、そんなんじゃないよ。私が見たのは、『塗料の滴り』だよ」
 福場は彼の言わんとすることがわかった。
「岡本先生も見たかどうかはわからないけど、私は発見の時、例の机の淵からあの赤い塗料がまだ滴り落ちているのを見たんだ。僅かではあったけどね。
 昼に図書室で見た通り、今あの塗料は固まり切っている。固まるのに必要な時間がわからないからそれはあんまり関係ないんだけど、『滴り落ちた』ってことは難しく言うと『まだ塗料と重力のバランスがとれてなかった』ってことだろう?昨日の夕方に塗料をぶちまけたんならさすがに床に落ちる部分は落ちてバランスがとれてるはずだよ。いつまでも滴り続けるってことは有り得ない」
「ナルホド…」
 福場は独特のイントネーションでそう言ってゆっくりと頷く。そしてまた話を続けた。
「となると先生、こういうことですかね。『大工』はシャッター開放の今朝6時以降に登校し図書室に行った。そして昨日司書室から盗んでおいた鍵で侵入し、例の悪戯をする。多分多く見積もっても10分もかからない作業でしょう。そして現場を去る」
「う~ん、だいたいは正しいと思うよ。ただ補足をしとこう。『大工』には現場を離れた後で赤い塗料を入れて来た何らかの容器を処分する作業が残っている。多分もう一度校外に出て捨てたんだろう。そして、しばらく待って他の生徒たちに混ざってもう1度登校する。登校している姿を誰かに目撃されれば、とりあえずのアリバイを作れるからね」
 まるで『大工』の行動を見ていたかのような解説だ、と福場は感心する。
「ということはですよ、先生。やっぱり『大工』はこの学校の生徒だと?」
「…今までずっとそんな口振りだったじゃないか、福場。だからそう設定して話してるんだろう?」 
「そりゃそうですけど…。いや、一応外部犯の可能性も無いとは…」
「確かに今朝の悪戯だけなら外部犯でも可能だ、不用心な話だけどね。でも昨日司書室から図書室の鍵を盗むのは外部犯じゃ…無理だろう?残念だけどね。しかも…一般生徒でもほぼ…無理なんだ 」
「それはつまり…」
 沖渡の口振りに、福場は再び彼の言わんとすることがわかった。
「普段頻繁に司書室に出入りしている僕たち図書委員じゃないと不可能、ということですね?」
「もしくは昨日司書室に出入りした他の生徒か教員。…気を悪くしないでくれよ、福場。あくまで可能性の話をしてるんだ。真実は全く意外なことなのかもしれない」
 そこで沖渡は語調を強めて言った。
「…ただ私はあの悪戯をしたのが生徒にしろ教員にしろ外部の人間にしろ、真相をつきとめて綺麗に解決したいんだ」
「わかっています、先生」
 口ではそう言いながらも、福場は自分の胸の奥で不安が膨らんでいるのを感じていた。
(図書委員の誰かがあれをやった?誰かが、嘘をついているのか…?)
「そろそろ大掃除の時間だぞ、福場」
 沖渡の声に福場は現実に引き戻される。
「そうですね。じゃあ…どうも…」
 福場は数学準備室を出ようとドアに向かった。
「福場!」
 背後から沖渡がよく通る声で言った。
 「あんまり深く考えるな、疑心暗鬼にはなるなよ。ただの悪戯だ」
 それは彼の優しさなのか、厳しさなのか…。ただ言えるのは、彼は一見どこか抜けているようで実は冷静に物事を見て考察し把握する能力を持った優秀な教師…らしいということだ。

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