OIAS公式Webサイト

図書室の悲惨  (福場将太・著)
■第六章「刑事の思考」



 出口遊が書庫の中から発見されてからの動きは、本当にめまぐるしいものだった。
 まず岡本が呼んだ救急隊が到着、出口は担架で運び出され、彼を乗せた救急車は病院へと走り去った。彼を運び出す際、書庫の廊下側のドアは完全に外された。沖渡と岡本が 酒井教頭に経緯を必死に説明し、委員たちは図書室に待機した。酒井は今日も大学に行っている校長に連絡、事情を聞いてもうじきその校長も来るようだ。
 図書委員たちはその間何を考えていたのだろう…。もはや何が何だかわからなくて当然だ。図書の偽名延滞、鍵の盗難、それを使った図書室への無断侵入及び包丁の悪戯、そして『大工』は今日ついに殺人までやってのけたというのか?
 …馬鹿げてる、誰もがそう思っただろう。
 そんな中、福場は先ほどの場面を思い起こしていた。

***

「息を…してない。くそっ」
 そう言うと沖渡は必死に出口の心臓マッサージを続ける。福場は呆然とそれを見守るしかなかった。
(嘘、だろ…?
 な、何がどうなってんだ、この状況は何だ…?)
 心が激しく何かを叫びながら揺れる。現実をうまく受けいれることができず、軋むような鼓動がけたたましく体中に伝わる。
「先生、何があったんですか?救急車は呼びました…怪我人ですか?」
 書庫の中に廊下の岡本からの声が悲痛に響く。しかし沖渡も福場もそれには答えない。
 倒れた出口の頭部から少し離れた床に、角に血痕の着いた厚い本が落ちていた。
(何が…どうなって…)

 どのくらい時間が経っただろう…。遠くから救急車のサイレンが近づいてきた。

***

(出口、無事でいてくれ…)
 一体何が起こったのかまるでわからないままだが、福場はただ祈る、祈る…。他の委員たちも図書室の長机にそれぞれ着席し無言でうつむいている。誰も何も話さない。室内には普段意識することのない壁の時計の針の音だけが無機質に響いていた。
 そして少しずつ頭のどこかがはっきりしてくるような感覚が訪れる。まずそれに気づいたのは福場だった。彼の思考は出口への祈りを離れ無意識に論理を組み立て始める。このプロセスはあまり感情的になると心がどうにかなってしまいそうなので、本能的に冷静になろうとした一種の逃避…あるいは防御なのかもしれない。
(書庫は、『密室』だった…)
 福場の心にはその謎が大きく持ち上がった。
(密室の書庫の中に、どうして出口が倒れていたのか…?)



 午前10時半を回った。
 刑事たちが到着し一通りの現場検証の後、関係者の事情聴取が開始された。
 図書委員たちはもとより、沖渡と岡本に原田、酒井、そして到着した校長の羽山が図書室に集い着席する。正面のカウンター前には数人の刑事が整列した。廊下側の前後2つのドアはまだ閉鎖されたままなので、彼らは全員司書室経由の入室である。
「えー、出口くんの容体についてはまだ連絡は入っておりません」
 中心にいた1人の刑事が深々と一礼して話し始める。40歳過ぎくらい、背は低めだがガッシリとした体つきの男だ。くたびれたグレイの背広がベテランを感じさせる。
「まずは、事件の経過を改めて教えてください。誰か代表でお願いします」
「それでは私が…」
 岡本が静かに手を上げた。出口が運び出された時は錯乱状態だった彼女だが、教師としての自覚と責任を取り戻したのか、今は落ち着いて堂々とした態度である。
「では、お願いします。あなたはここの先生ですかね?」
「ええ、岡本です。図書委員会の顧問ならびに日々の図書室や書庫の管理もしています。混乱しているもので、少しお聞き苦しいかも知れませんが全てを話すつもりです…」



「…なるほど、おおよその経過が呑み込めました。とすると何で巣?書庫は…いわゆる『密室』だったと?」
 岡本の一通りの説明の後、その刑事は言った。
「そ、そうです…そうなります」
「…う~ん。これは少々厄介ですね。…いや、生徒のみなさんは誰もその『大工』とかいう人物に心当たりはないんですか?」
 委員たちは何も言わない。刑事はその様子をしばし静観したが、やがてまた口を開いた。
「…そうですか。ふん、じゃあとりあえず今日の所はこれまでですね」
 そう言うと、彼は再び一礼して図書室を出て行った。他の刑事たちもそれに従いカウンターの後ろから司書室に入っていく。
 その場に残された生徒、教員たちは誰も動かない。…重い沈黙が流れる。それぞれ事件への想いをはせているのだろうか。
 数分の後、ようやく羽山校長が立ち上がり正面に出た。
「い、未だ私は何が何だか…という感じなんですが…」
 一同は校長に注目する…生徒の中にはうつむいたままの者も数人いたが。羽山はスーツの襟を直すと、ゆっくりと言葉を続けた。
「とにかく、我が校で悲しい事件…事故、というべきなのかもしれませんが、そのような出来事が起こったことは…確かです。警察の捜査方針については、この後で私と酒井教頭で先ほどの刑事さんに訊くことにします。生徒諸君は…もうずいぶん校内で噂が広がっているようですが、むやみに口外しないように。
 今後も君たちは警察に何度か質問される機会を持つことになるでしょうが、我が校の生徒らしく堂々とした態度をとること。少しでも早くこの事件…が解決するように全員で協力するように。先生方もよろしいですね」
 教員たちは静かに頷く。ふと校長はその時、先ほどまでここにいた教員1人がいないことに気づいた。
「あれ…、沖渡先生はどこに行かれたんです?」



「刑事さーん!」
 図書室での事情聴取を終えた先ほどの刑事は、廊下で後ろから呼びかけられた。振り返ると背の高い無表情な男が駆け足でやって来る。
「どうしたんですか、沖渡先生。…何か?」
 息を落ち着かせてから、沖渡は直線的な笑顔で言った。
「もう…わかっているでしょう、兄さん?」



 校内にある食堂前の自動販売機、そこに沖渡と刑事であるその兄がいた。体格にしても表情の豊かさにしても兄弟とは思えないほど対照的な2人だ。刑事の方が缶コーヒーを取り出しながら言った。
「で、雅文、何だって?」
 教師の方が頭を掻きながら答える。
「だから、少しばかり警察の考察を教えていただけないかなあ、と」
「…で、そのついでに捜査に協力させてくださいってか?」
「いやあ、そんな…」
 刑事は缶コーヒーを一口飲んで、含みのある目で弟を見て言った。
「隠してもわかってるよ。お前もずいぶん学生時代はミステリーマニアだったからなあ。それにボーッとしてそうで意外と頭も切れる。確か前にもお知恵を拝借したっけ」
「いや、今までは好奇心でのお節介でしたが、今回は教師としての責任です…兄さん」
 教師は兄の目を直視してはっきりとそう言った。
「そうか…、よし」
 刑事は缶コーヒーを一気に飲み切ると、ごみ箱に捨て、辺りを見回した。
「大丈夫ですよ、今は3時限目の授業中です。この辺りに生徒はいません」
「うん、じゃあ話そう。雅文、お前は第一発見者だ…当然気づいてるだろう?」
「ええ…。出口の頭に傷がありました。そして彼の横に凶器と見られる厚い本が…」
「そう、落ちていたな。調べたらあれはもともとあの書庫にあった本だった。確か『航空力学と飛行の論理』、だったかな。人力飛行機からジャンボジェットまで設計とか計算とかを書いた…、まあ、難しい本だな」
「はい。十分凶器になりうる重そうな本でした。兄さん、指紋は残っていましたか?」
「今鑑識がやっている…、といってもおおよそ予想はついてるがな」
「というと?」
「お前だってわかってるだろう、雅文?現場の状況から判断して一番強い可能性さ」
 そこで数秒の沈黙。やがて刑事の視線に応えるように教師が言った。
「…出口本人の指紋、というわけですか」
「そうだ。『大工』なる人物は出口くん本人だと考えるしか、あの状況を説明できる答えがない。
 …一昨日図書室の鍵を盗むことに成功した彼はその翌日、つまり昨日だが、包丁と塗料を使った悪戯を決行。そして今朝再びその鍵で図書室に侵入、そこから書庫へ繋がるドアを通って現場に侵入。あのドアは書庫側からノブのツマミで施錠できる。彼はそうやって密室を作るとそこにあった本で自分で自分の後頭部を殴った」
「しかしそれだと廊下から図書室へ入るドア、つまり侵入する際に開けたドアの施錠はどうなります?構造上、あの引き戸のドアは廊下側からしか施錠できません。しかもドアは紙粘土みたいな物で鍵穴を塞がれていたんですよ。その作業はどうなります?」
「粘土みたいなヤツも今鑑識が調べている…。それにそんな作業はわけないさ。まず彼は図書室のドアを開け侵入し、廊下に面した窓を開けそこから1度また廊下に出る。そして先ほど開けたドアを施錠し、鍵穴を粘土で塞ぐ。もちろんもう1つの図書室のドアと書庫のドアもな。その後また先ほどの窓から図書室に入り、窓の鍵をかける。その後書庫に行ったんだ」
 語調を強める刑事に教師は少しためらいがちに言う。
「兄さん…確かにそう考えると辻褄は合いますが…。それでは出口の行動に謎が多すぎる」
「それはわかっているさ。出たり入ったり何のためなのか意味不明だ。…それに自分で自分の頭を殴る、というのも不自然だ。だが、重いあの本を空中に投げ、自分の頭に落とせばやってやれないことはない」
 教師はそこで黙り込む。何も言わず、何かを考えているようだ。
「雅文…しかしな、他に考えようがない。もし第三者が書庫で出口くんを殴ったのだとすると、その人物はどこから脱出したんだ?書庫と図書室を繋ぐドアは書庫側からしか施錠できないんだ。書庫と廊下を繋ぐドアも、鍵が盗まれていないから誰にも開け閉めできない」
 刑事はそこでさらに語調を強める。
「つまり、書庫が密室になっている以上、どんなに不自然でも…その内側にいた人物がこれをやった『大工』でしか有り得ないんだ」
 教師がそこで口を開いた。
「出口は問題の盗まれた図書室の鍵を持っていたんですか?」
「いや、持っていなかった。書庫の中どこにもなかった。図書室の中にも落ちていなかったな」
「じゃあ…」
「だから今からその確認に行こう。お前も一緒に来い」
「確認って…どこへ?」
 教師は目を丸くする。
「わかってるんだろう?いちいち訊くな、悪い癖だぞ」
 刑事はそう言って歩き出した。



 2人は中庭にやって来た。ちょうど書庫の真下にあたる位置だ。刑事が口を開く。
「あの書庫には窓は1つしかなかった。出口くんが倒れていた近くの壁の上の方にあった小さい窓…ほら、あれだ」
 刑事は眩しそうに校舎の4階を見上げてその窓を指差した。昼も近づき太陽も高い。暗い事件とは対照的に、今日も空は澄み渡った秋晴れを見せている。
「出口くんの自殺だとすると…盗まれた鍵は彼の近くにあったはずだ。しかし服のポケットにも周囲にもなかった。とすると考えられるのは…」
「…出口先輩が書庫を内側から密室にした後、窓から鍵を投げ捨てた」
 答えたのは教師・沖渡ではなかった。突然の返答に2人は振り返る。
「そうでしょう?刑事さん、沖渡先生」
「き、君は…」
「1年の久保田です。多分お2人と同じ考察でここに来ました」
 刑事は頭にバンダナを巻いたその特異な生徒に少々戸惑う。教師が目を丸くして尋ねる。
「そ、そりゃあ…いいが、他のみんなはどうしたんだ?」
「校長先生と教頭先生は出ていかれました。他のみんなはまだ図書室で沈黙状態ですよ。俺はああいう非生産的な行動は嫌だから、色々調べてるんです」
 沖渡兄弟は顔を見合わせる。そして視線を戻して兄の方が言う。
「う~む、まあ…いい…かな。じゃあ君もこの辺りに落ちているかもしれない図書室の鍵を探してくれ」
「その必要はありませんよ、刑事さん」
 マニアックマンこと久保田は得意げに答えた。
「それはどういう意味だい、久保田くん?」
「だってあそこに落ちてるじゃないですか、ほら見えるでしょう?」
 マニアックマンの指差す方を見ると、確かにそれは落ちていた。まさに書庫の窓の真下、校舎から2メートルほど離れた位置だ。その辺りには背の高い草も生えていないので容易に視認できる。
 刑事がハンカチで包みながらそれを拾う。
「どうやら当たりだな。『図書室』という木の札が付いてるし…これが盗まれた鍵に間違いないだろう」
「ということは、やっぱり出口先輩の自殺ということですか…」
 マニアックマンはバンダナを調整しながら、はっきりした口調で言った。
「これで、ほぼ決まり…かな」
 刑事がそう言いながら弟の方を見ると、彼は目を閉じてボソボソ何やら呟いている。
「ええと、久保田くん。君は図書室に戻って、先生に今日これからの指示を受けた方がいい。あと、このことはまだ口外しないように。捜査は我々の仕事だ」
 マニアックマンは頷いてその場を去った。刑事は弟に言う。
「おい、雅文、生徒への指示はお前の仕事だろう?」
 教師・沖渡はまだ目を閉じて何かを考え続けていた。
「う~ん、窓、から…?」
 刑事はその独り言を聞きながら、やれやれと肩をすくめた。




 マニアックマンが司書室経由で図書室に戻ると、まだ委員たちは沈黙のまま着席していた。ただ岡本と原田だけは窓際に立って何やら話をしていた。岡本がマニアックマンに気づく。
「あら、久保田くん、どこへ行ってたの?」
 岡本の目は涙ぐんでいる。マニアックマンはそれをあまり見ないようにして着席し、力なく答えた。
「いや、…別に。そう言えば沖渡先生、外で刑事さんと話をしてましたよ」
「あら、…そう」
 そう言うと岡本は原田と頷き合ってカウンター前に出た。
「みんな、今日は本当に疲れたでしょう。だからこのまま帰宅しても構いません。授業に出る元気のある人は、4時限目から出てもらっても構いません」
 そこで岡本は一息ついてから続ける。
「みんな…、こんな時だけど気を強く持ってね。出口くんの回復を祈りましょうね」
 希望を託した言葉…だが委員たちは全員、出口が運び出される時に息をしていなかったのを見ている。無論、岡本もそうだったのだろうが…。
「出口くんのことについては、学校から他の生徒に伝えますから…みんなから何も言う必要ないからね」
 震える声でそう言うと、岡本は涙を隠しながら原田と司書室へ引っ込んだ。委員たちはまだ全員着席している。誰も何も言わない。
 その時、3次元目終了を告げるチャイムが鳴った。



 その後鑑識により、凶器と見られる本に出口遊の指紋が残っていたことが確認された。また中庭で発見された鍵が盗まれた図書室の鍵に間違いないことも追って確認され、原田は昨日の事件の包丁を警察に提出した。

 やがて4時限目も終わり昼休憩が訪れる。病院に運ばれた出口についての情報は、まだない。

第七章へ
図書室トップへ
OIASトップページに戻る