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図書室の悲惨  (福場将太・著)
■第七章「素人探偵たちの捜査」



 福場は屋上に寝転がっていた。下校する気にもなれなかったが、だからといって今更授業に出る気にもなれなかった。ちらりと腕時計を見る…ちょうど午後1時。目の前には天高い秋の空が180度に広がっている。午前中のあの出来事がまるで夢か幻、あるいは推理小説であったかのように思えてくる…そんな悲しいくらいに青い空。
 しかし全ては紛れもない現実だ。福場は考える。
(出口が書庫の中にいたってことは、図書室から書庫へ繋がるあのドアに鍵はかかっていなかったんだ。それ以外に侵入経路はない。
 くそっ、昨日下校する時にあのドアを施錠していれば…。窓にばかり気を取られていた。あのドアは施錠しないでおくのが普段だったから、うっかり見逃していた…)
 後悔の念が込み上げてくるが、今更どうしようもないことだった。それは福場にもわかっている。そして考えあぐねた末、福場も『あの書庫の密室状況を作り出せるのは、出口本人しかいない』という結論に達していた。
(そんな馬鹿な…!確かにあいつは意味のないことや奇怪なことをするのが好きだったが…いくらなんでも自殺なんてするものか。何か悩みがあったとしても絶対に自分から死ぬようなヤツじゃない…と思う。
 それに自殺にしては納得いかない点が多過ぎる。例えば、自殺だとしたら何故まるで他殺のような状況にしたのか?書庫を内側から施錠したのはまあいいとしても、図書室や書庫のドアの鍵穴を粘土で塞ぐ必要がどこにある?あれじゃまるで誰かが外側から出口を書庫の中に閉じ込めたみたいじゃないか。
 それとも…あの塞がれていた鍵穴はむしろ自殺の演出と見るべきなのか?しかし出口があの状況を作り出すには、窓を使って図書室に出たり入ったりしなければならない。自殺者の心理を研究したわけではないが、不自然すぎる…と思う。意味がない。…まあそんな意味のないことをするのがあいつらしい、と言われればそんな気もするが。
 あいつはまるでピラミッドに眠るエジプトのファラオのように、誰も入れない棺の部屋を演出したのだろうか?それとも自殺などではなく、冗談か何かでやったつもりが事故でこんなことになったのだろうか?)
 福場はさらに考える。
(そうだ、さっきマニアックマンが言っていた。『出口は盗んだ鍵を書庫の窓から中庭に投げ捨てたのかもしれない』と。…何じゃそりゃ?全くその必要性がないじゃないか。あいつが鍵を盗んだ『大工』本人なら、自分で持ってりゃ良さそうなもんだ。
 確かに、物理的にはあの状況を作り出せるのは出口本人だけなのかもしれない。…しかしここまでたくさんの不可解な状況を、全てあいつが変わり者だからということで片付けてしまっていいのだろうか…)
 福場はそこまで考えると、立ち上がった。そしてこの事件のホームズ役になってくれるかもしれない、あの教師の知恵を借りることにした。



 沖渡は幸いにも数学準備室に居た。ついさっきまで刑事と話をしていて、今し方戻ってきたところだと彼は語った。
「福場、もうじき5時限目始まるぞ、いいのか?」
 空いている椅子を促しながら沖渡は言った。福場はそれに腰掛けながら答える。
「いいんです…そんな心境じゃないですし。先生こそ授業の担当は?」
「幸か不幸か5時限目にはないんだ。6時限目はあるがね、君のクラスの数学だ」
「じゃあ、それには僕も出ますから、それまで話を」
 これまた幸いにも、その時刻数学準備室に他の教員はいなかった。沖渡は自分の席に座って話し始める。
「頼ってくれるのは嬉しいが…。まあいい、何を話したいんだい?」
 福場は自分が辿り着いた結論、浮かび上がった疑問などを洗いざらい話した。話の途中沖渡は黙って頷いたり目を閉じたりしていた…その表情は相変らずロボットのように直線的ではあったが。
 福場が一通り話し終えると、彼は少し間をおいてから静かに口を開いた。
「う~ん、だいたいの考えは私と同じだね。人間の思考過程はみんな似ているようだ。ええと、彼…久保田も同じような推理をしていた。つまり…出口の自殺だと」
 沖渡は両手を噛み合わさせ、その上に顎をちょこんと乗せた。
「でも、大切なのはそのステップを越えて次に進めるかどうかなんだ。思うにそこが天才と凡人の違いかもね。まあ…、実のところ私は出口の自殺行為だとは思ってないんだ」
 沖渡の言葉が福場には救いの光のように感じられた。
「先生、と言うと?」
「確証があるわけじゃないんだけど…さっき福場が話した通り、自殺だとすると不可解な点が多いんだ。…いくら出口が変わったことをするのが好きなエンターテイナーだとしてもだ。そういう視点でよく考えてみると、結局のところ、自殺の根拠は『密室の書庫』しかないんだな」
 沖渡は続ける。
「まあ仮に第三者、つまりは真犯人が存在するとして話を進めてみよう。勿論図書室の鍵を盗んだのも真犯人。犯行は昨日の悪戯同様におそらく今朝だろう。出口の体はまだ温かかったからね。
 真犯人と出口は何故か今朝、多分シャッターが開いた午前6時頃に学校にいた。真犯人は出口を書庫にうまく誘導し、隙を見て本で出口を殴った。そして、何らかの方法で書庫を密室にしたまま真犯人は『どこか』から脱出した」
 福場は沖渡の言葉に集中する。
「…その後目的は不明だが、図書室や書庫のドアの鍵穴を塞ぐ作業をして、最後に盗んだ図書室の鍵を中庭の『いかにも書庫の窓から投げられたような位置』に置きに行く。後は鍵穴を塞いだ時に用いた道具なんぞを処分すればいい。当然この一連の作業で自分の指紋は残さないし、自殺をでっちあげる上で出口の指紋が必要な箇所には出口の指紋をつける」
 福場は沖渡の推理にただ聞き入るしかなかった。
「私は中庭に鍵が落ちていたことはもう真犯人の存在の証拠だと言ってもいいと思う。出口本人に鍵を窓から中庭に投げ捨てる理由はこれっぽっちもないからね。明らかに真犯人が辻褄を合わせるためにやったとしか思えない。…ん?とすると…」
 沖渡は一瞬言葉を詰まらせる。
「…先生何か?」
「いや、何でもない。ところでこの事件の担当刑事が実は私の兄でね、沖渡大樹(おきと・だいき)っていうんだけど、彼の話じゃ警察は今のところは出口の自殺の線で捜査しているらしい。状況が不可解なのは警察も百も承知だけど、出口が普段から変わり者だったってのが効いてるんだろうね」
 福場は沖渡の兄が刑事であったことにも驚いたが、『出口の自殺』が警察の判断であることに大きなショックを受けた。
「でもね、現場が学校だけにいまいち捜査が進んでないみたいなんだ。刑事達がぞろぞろと校内をうろつくわけにもいかないらしい。
 …というわけで、兄が言うには私に調べてほしいってことなんだ。刑事が生徒に質問すると尋問みたいでよからぬ噂が立っちゃうかもしれないだろ?でも、私なら一応教師だから気軽に生徒に質問できるってことなんだ。まあ私にしてもこの事件解決には全力投球するつもりだから、ある意味願ったりなんだけどね」
 沖渡はそこで思いついたように言う。
「そうだ、この際だから福場にも協力を願おう」
「な、何ですか?僕にできることなら…何でもやります」
 福場は本心からそう答える。
「出口についてどんな生徒なのかを、交遊関係を当たって調べてほしいんだ。これは教師でも難しいから。福場ならうまく調べられると思う」
「ええ、構いませんが…、これはどういう?」
「事件が起こった以上その裏に何らかの原因があるはずだから、それを知るための作業だ。出口がこの事件に大きく関わっているのは、他殺であれ自殺であれ間違いない。…まあ、助かって未遂になるに越した事はないが…。
 とにかく福場には、事件の動機を知るために情報を集めてほしい。それがわかれば、きっと事件が見えてくるはずだ」
「はい!わかりました」
 福場は大きく頷いた。



 5時限目と6時限目の間の休憩時間は10分しかないのだが、福場は出口が図書委員会に入る前、つまり前期までは生物管理委員会に所属していたことをつきとめた。図書委員に変わった理由まではわからなかったが、それは放課後調べることにした。
 6時限目の沖渡の授業はとりあえず受けると、福場は早速生物管理委員会が活動の拠点としている生物教室に向かった。そこには、日頃出口と仲の良さそうだった2年3組の林がいた。
「やあ、林くん。生物委員だったんだね」
 福場は林と一応面識があった。2人とも音楽が趣味で、昼休憩によく音楽室で顔を合わせていたのだ。
 林はザリガニの水槽にエサを蒔いていた手を止めると、少し長めに伸ばした髪を掻き上げながら答えた。
「…やあ福場くん、どうしたんだい?」
「実は出口のことで訊きたいんだけど…いいかな?」
 林の表情が途端に暗くなる。
「ああ…そう…。ホームルームで話は聞いたよ。本当にどういうことなんだ?出口は無事なのか?」
「…それはまだわからないんだ、ごめん。林くんは出口とは仲良かったんだろ?」
「まあね。中学が一緒だったからその時からのつき合いなんだ。フゾクに入学した時も同じクラスで、一緒にこの生物管理委員に入ったんだ。あいつも俺も生き物が好きだから」
「そうなのか…。でも出口は2年の前期でやめちゃったんだろう?今は図書委員だもんな。やめたのには何か理由があったのかな」
 林は少し考えてから答えた。
「本人から聞いたわけじゃないから違うかもしれないけど…出口が当番の時にたまたまみんなが可愛がってた鯉が死んじゃって、…その責任を感じてやめたんじゃないかな。俺はそう思ったんだけど」
「鯉?」
「そう。中庭に池があるだろ?あそこで飼ってたんだ。俺たちが入学した時にはすでに飼われてた鯉…何年か前にうちの卒業生の学者が寄贈してくれた鯉らしい。とても綺麗な鯉だったんで、天空が死んだ時にはみんなショックだったなあ」
「『天空』?」
「ああ、ごめんごめん。その鯉の名前さ。入学当時あの鯉には名前がなかったからね、出口が勝手に命名したんだ。実は出口の中学時代のあだ名でもあるんだけどね。まあそれはいいとして、みんなその名前が気に入って、すっかり『天空』が委員の中で定着したってわけ」
 林はどこか懐かしそうに話す。福場は知らなかった事実ばかりに直面し、戸惑いながら言った。
「ちょ、ちょっと待って。出口は中学の頃は『天空』っていうあだ名だったの?何でまた…」
「ああ、たいしたことじゃないさ。あいつ、昔から変なことばっかり言うヤツだったんだ。中学の時、『自分には臨死体験がある』なんて言ってたんだ。だからある時『出口は天国から舞い戻ったヤツだ』ってことで、『天空人』ってあだ名がついたんだ。その後いつの間にか略されて『天空』になったわけ。俺も昔はそう呼んでたけど、高校に入ってからは『出口』に戻したね」
 林はそこで少し微笑んで言葉を続ける。
「でも出口本人はかなりあのあだ名、気に入ってたみたい。だからお気に入りの鯉にも命名したんだと思うよ」
「『天空』…ねぇ。ふ~ん、そんなあだ名、知らなかったな」
「この学校で知ってるヤツはいないと思うよ、多分。鯉の名前としてはある程度有名かもしれないけど。俺と出口以外に同じ中学から来たヤツいないし」
「…ありがとう。他に何か出口について知ってることはない?」
「長いつき合いだから…ないわけじゃないけど…。プライバシーに関わることだからなぁ。まあ、今朝のこととは無関係だと思うけど」
 林はそこでまた表情を暗くする。
 「できれば、教えてほしいんだ。もちろんむやみに口外はしない。ただ出口に何が起こったのかを解明したいんだ」
 福場の真剣な口調に、林は少し迷いを見せる。そして視線を逸らして静かに答えた。
「…まあ、いいか。そこまでの事でもないし」
 林はそこでまた長い髪を掻き上げた。
「実はあいつ、彼女がいたんだ。2年の1学期からつき合い始めた。結構仲良かったみたいだね、うらやましい話さ。
 …でも、これは噂だけど、出口の方が一方的にふっちゃったらしい。ちょうど、この委員をやめる頃だったかな。つまりまあ、半年弱くらいしかつき合ってなかったってこと。多分夏休みに何かあったんだろうって俺は思ってた。でも一方的な別れだから、しばらく女子から顰蹙買ってた」
 福場はそういえばそんな噂を聞いたことがあるのを思い出した。
「でもまあ、本当のところは分からないよ。出口にも事情があったんだろうし。まあ俺は友情と恋愛は割り切ることにしてるから、さほど気にならなかったけどね。出口も何も言わないし。
 …あいつは確かに変わったヤツだけど、悪いヤツじゃないよ」
「その彼女の名前、わかる?」
 福場は何気なくそう訊いただけだった。しかし、林の言葉は福場が想像もしなかった事実を告げた。
「ああ、わかるよ。確か1年の…小笠原遥香だ」



「小笠原さんなら、今日は早退したっス。午前中の図書室での校長先生の話の後すぐに」
 小笠原と同じクラスの平岡に福場は質問していた。生物教室からの帰りに、偶然廊下で出会ったのだ。
「やっぱり、女の子だから…ショックだったんじゃないスか、今朝のこと」
 平岡は人差指で口髭を擦りながら言った。
「そうか…。ところで、小笠原さんに彼氏がいたって話、聞いたことあるか?」
「え、いたんスか?初耳です。残念だなあ…、結構狙ってたのに」
 平岡は冗談めかしてそう笑う。もしかしたら彼なりに、事件のことを忘れようとしているのかもしれない。福場は平岡の笑顔には合わせず、真剣な口調で続けた。
「いや、それならいいんだ。ありがと。…ところで今からどこへ行くんだ?」
「…図書室です。現場百遍ってことで。マニアックマンは出口先輩の自殺だって言ってたけど、俺はそう思えないんスよ、なんか。でも、他殺だとすると書庫の密室がおかしいでしょ?だからその謎を解きたいなあと思って」
 平岡も同じような推理を展開していたらしい。どうやらこの学校には素人探偵がたくさんいたようだ。あるいは、自分たちの身近で起こった悲劇を早く解決したいという願いが、彼らをそう動かすのかもしれない。
「平岡、俺も同感だ。よし、一緒に行こう」
 福場はそう強く言い、後輩の肩を叩いた。



 2人が図書室に着くと、ちょうど司書室から沖渡が出てきた。
「やあ福場、平岡。どうしたんだ?」
「先生こそ何してるんスか?」
「いやあ、ちょっと司書室に用があって。一昨日司書室に出入りした人間を尋ねてたんだ」
「つまり、図書室の鍵を盗んだ容疑者を限定するためっスか?」
 平岡も興味津々に話す。
「なかなか鋭いね、平岡。その通りだ。鍵がなくなったのが一昨日の月曜だからね。その日に司書室に出入りした人間を、岡本先生と原田先生に頑張って思い出してもらった。まあ図書委員は日頃から出入りしてるから誰がどうだったかはさすがに憶えてないみたいだけどね。
 …2人の記憶している範囲で、出入りした教師はなし、生徒は2人いたそうだ」
「僕たちは容疑者のままですか…」
「そう気を落とすな、福場。とりあえず容疑者は2人増えたことだし」
「…はい。あの、その2人というのは誰ですか?」
「1年生の板村と渡辺という男子らしい。2人とも別々の用件で別々の時刻に司書室に来たそうだ」
「その2人、俺知ってるっス。友人です」
 平岡が少し驚いたように言った。
「そうか…。なら明日会った時、話でも聞いておいてくれ」




 その後3人は図書室前の廊下で事件について少し話し合った後、福場と平岡はその場を去った。平岡のことを気にして、福場は先ほど林から得た情報を沖渡に伝えるのは明日に見送ることにした。2人と別れた沖渡は数学準備室に戻ろうとしたが、思い直したように再び司書室に入った。
「あら、沖渡先生また御用ですか?」
「いや、すいません岡本先生。今度は図書室の方に。本当に鍵穴が塞がったままってのは不便ですよね、せっかく鍵が見つかったのに。書庫の方は警察に現場保存されてるから通れないですし」
「それなら明日までの辛抱だ、沖渡先生」
 窓際で原田が煙草を吹かして言った。
「明日午前中に業者が来て、ドアを新しいのと交換してくれる。その時、今朝破った書庫のドアの残骸も一緒に回収してくれるそうだ」
「そうですか、そりゃあよかった。このままじゃ生徒も図書室を利用できないですもんね。では…」
「おい、沖渡先生」
 図書室に繋がるドアを開けようとしていた沖渡を、原田が厳しい口調で呼び止めた。
「何を嗅ぎ回ってるのか知らんが、ほどほどにな。君は教師だ」
「教師だからこそ、です」
 そう言うと沖渡は相変わらずのロボットのような動きで図書室に入っていく。岡本と原田は顔を見合わせるばかりだった。



 図書室の中には図書委員2年の女子3人がいた。長机の隅に集って何やら話をしていたらしい。沖渡の出現に、3人は少し驚いた顔をする。
「君たち…、まさかあれからずっとここにいたのか?」
「…そうです。授業を受ける気分じゃないけど、下校する気にもならなくて…」
 水田が答えた。
「でも、昼食とかは…」
「食欲がありません」
「そうか。まあいいけど、晩飯は食えよ。…あれ、小笠原は一緒じゃないのか?」
 3人は一瞬顔を見合わせる。そして今度は西村が答えた。
「ええ。彼女は校長先生の話の後、すぐ下校したようです」
「そうか。…まあ、君たちも遅くならないうちに帰れよ」
 そう言うと沖渡は問題の『図書室から書庫へ繋がるドア』に向かおうとした。
「先生!」
 須賀が呼び止める。3人は再び顔を見合わせ互いに頷き、その上で須賀が続けた。
「先生、事件の事を調べてるんでしょ?だから…お話しします。実は…出口くんと小笠原さん、昔つき合ってたらしいんです。9月頃、出口くんが一方的にふっちゃったって噂になってました」
 女子というのは概してこの手の噂話が好きなものだ。男側に一方的に非があるなんて評判が流れようものなら、その男は女子陣を一気に敵に回したような状態になってしまったりする。出口が図書委員会に馴染めずにいたのは、こんなところにも理由があったのかもしれない。
 沖渡は相変らずの無表情で答えた。
「それはつまり、小笠原には出口に対して動機があった…ということかい?」
「そ、そんな…。ただそういう事実が何らかの形でもしかしたら、関わっているかもと…」
 須賀は少し動揺を見せる。いつもの元気が発動されないのも、こんな日では仕方がない。
「う~ん、なるほど。ありがとう、他にも何かあるかい?」
 沖渡のその言葉に、西村は恐る恐る質問した。
「さっき、書庫を調べてた刑事さんの話し声、聞こえてきたんですけど…。出口くんが『大工』で、今朝のことは出口くんの気をてらった自殺だっていうのは…本当ですか?」
「…それはまだわからない」
 そう言った沖渡は、次の瞬間突然大きな声を出す。
「そうだ!『大工』はもともとそう名乗って図書を延滞している謎の人物だったね。その『大工』が書いた貸し出しカード、まだ残ってるか?警察に押収されてなければ、まだここにあるよね?」
「多分あると…思います」
 静かにそう言うと、水田が立ち上がる。そして正面のカウンターに設置されている延滞者の貸し出しカードの箱を探った。
「あ、ありました。これです」
 水田は近づいてきた沖渡にカードを渡す。彼は「ありがとう」と無表情で受け取ると、目をまん丸にしてそれを凝視した。
「本の名前は…『淡水の生き物』か…」
 数学教師は冷静にカードを観察する。
 書かれている文字は、まず学年記入の欄に大きく漢字で『一』。クラスや日付関係の欄は無記入。そして名前の欄にはこれまた大きく『大工』と書かれている。すべて鉛筆によるなぐり書きだ。さらにそれだけでなく『大』と『工』の文字の間にその鉛筆を刺して空けたのだろう、直径2ミリほどの穴がある。この穴が不気味さを際立たせているのは間違いない。
「悪戯にしては趣味が悪いな。『大工』は意味不明だし、鉛筆で穴まで…。書かれてるのは全部簡単な漢字だし、筆跡鑑定もこれだけじゃあ無理だろうなあ…」
 沖渡の隣で水田が尋ねた。
「刑事さんたちの話が本当なら、このカードを書いたのも出口くん…ということになるんでしょうか?」
 沖渡はしばらくカードを見つめると、静かに言った。
「う~ん、どうかなあ…。この悪戯、どういう意味なんだろう?何で『大工』なんだろう?大工さんがどうしたっていうんだ?…わからない。こんな意味不明じゃ、悪戯にもならない」
 沖渡はもうしばらくカードを凝視すると、あきらめたようにそれをカウンターの箱に戻した。
「ありがとう。遅くならないうちに帰れよ」
 3人にそう言うと、沖渡はスタスタと最初の目的であったドアに向かった。そのロボットのような動きには全く足音がない。



 女子3人はその後また10分程何やら話をしていたが、そのうちに図書室を出ていった。沖渡は黙々と問題のドア周辺を調べていたが、ふいにそこから書庫に侵入し、今度は破られた廊下側のドア周辺も調べ始めた。
「捜査は順調ですか、沖渡刑事?」
 沖渡が振り返るとそこには彼の兄がいた。
「沖渡刑事はあなたでしょう、兄さん。私は教師・沖渡です」
「そうだったな。で、どうだい、何かわかったかい?」
「いやあ、それがなかなか…。何とか部屋の外側から密室を作れないものかと考えているんですがね。例えば図書室と書庫を繋ぐこのドアです。鍵や鍵穴はなく施錠の方法は書庫側からノブのツマミを回すのみ。一見シンプルですが…このドア、さすが書庫だけあって重くて頑丈です。閉めてしまえば少しの隙間もない。推理小説みたいに糸を使ったトリックで、図書室側から施錠するのは無理なようですね」
 数学教師はやれやれといった感じで頭を掻く。
「一方、こちらの廊下側のドアですが、といっても今は外されてますけど、こちらは他の教室と同様の2枚組の引き戸です。他の教室と同じく内側には鍵穴もツマミもついてません。廊下側から鍵を使う以外施錠も開錠もできない構造です。これじゃあトリックなんてやりようがない…」
 そこで数学教師は刑事の方を見た。
「あの…一応確認ですが、盗まれた図書室の鍵はここのドアには合いませんよね?」
「おいおい、当然だろう。ドアが同じ種類ってだけで鍵は別物だ。マスターキーじゃないんだから。あの鍵で開け閉めできるのは図書室の前後2つのドアだけだ」
「…ですよねえ」
 数学教師は残念そうに言う。刑事はそこで軽く伸びをして言った。
「まあ、確かに不可解な構造の校舎だとは思うよ?この書庫だって頑丈なのと普通の引き戸とドアが2つあるのはおかしいだろ。貴重な本を保管するための部屋なら頑丈なドア1つでいいじゃないか」
「それはですね兄さん、ここが古い学校だからです。長い歴史の中で、何度か増築とか部屋の用途変更がなされてきた結果なんですよ。この書庫ももともとは別の部屋だったのが改造されたんでしょう。じゃないと内側のノブにしか鍵のツマミがないのはおかしいですから」
「なるほどな…。だからといってさすがに秘密の抜け穴とかがあるわけじゃないだろ。あの小さい窓から人が出入りするのも不可能だ。
 …無理だよ、密室を作るのは。小説じゃないんだから。やっぱり自殺で決着をつけるべきなんじゃないか?」
 教師・沖渡は黙るばかりだった。


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